世の中の人が惑わされる、『明示的意味』と『潜在的意味』

 

私たちが普段何気なく使っていいる『言葉』ですが

私たちはこの言葉の性質に無意識の内に絡め取られているんです。

 

 

言葉に内在する2つの意味

日常的にはあまり意識することはないのですが、

言葉には2つの『意味』が内在しています。

 

例えば「ベンツ」と呼ばれる世界的に有名な自動車があります。

 

ここでいう2つの意味とは

ひとつは「ベンツ」という
言葉で表される事実としての意味。

すなわち
ドイツの自動車メーカーであるダイムラーのブランド
という意味です。

これを「デノテーション(明示的意味)」といいます。

 

もうひとつは「ベンツ」という言葉が、
社会構造で使われる中で、
他の言葉との関係性において生じる意味。

例えば、
「高級車」「セレブ」「虚栄心」「勝ち組」といった意味。

これを「コノテーション(潜在的意味)」といいます。

 

物事の意味は、このように二重構造(デノテーション/コノテーション)になっています。

フランスの思想家ロラン・バルトは
これを「神話作用」と呼んでいます。

 

世の中の人は実際どちらの支配(影響)を受けているか?

ではここで、ひとつ質問です。

私たちは普段の生活の中で、
どちらの「意味」に、より支配されているでしょうか?

 

 

なぜ「ベンツ」を選ぶのか?
数ある自動車の中から「ベンツ」を選ぶ理由(意味)は何なのか?

 

・・・

 

そう、実は「デノテーション(明示的意味)」よりも、
「コノテーション(潜在的意味)」のほうなのです。

 

私たちは生まれた時からすでにこうした
「神話(言葉で創られた)」の世界に投げ込まれていて、
自分ではコントロールできない、ある一定の世界像を植え付けられています。

 

 

すなわち「主体」に先立つ「社会」の支配を受けているのです。

 

これを分析哲学的に見るならば、
コノテーション(潜在的意味)のほうが、言葉世界と事実世界の接触面が汚れている。
とも言えます。

 

 

なぜなら言葉が指し示す事実が「存在しない」だけでなく、
その言葉が使われる「かたち」の「類似性」に絡めとられやすいからです。

 

それは自動車としてでなく、
高級ブランドとして「ベンツ」という言葉が使われる「かたち」を、たくさん見てきているからです。

 

ではなぜ私たちの世界ではなぜ「コノテーション(潜在的意味)」のほうが、
言葉が使われる「かたち」が多くなるのでしょうか?

 

 

自分を薄められていないから

 

「構造は実存に先立つ」と言われても、

やはり多くの人は構造(かたち)の支配から逃れようとします。

つまり、「実存(自分勝手な意味)」で
「構造(かたち)」をねじ曲げようとする。

ではなぜ「実存(私的言語)」に、
先立つ「構造」を無理やり合わせようとするのか?

それは結局、

自分を薄められていないから

要するに
自分だけの狭い世界(実存)に「臨場感」を感じていたいから。
これまでに自分がやってきた経験、世界と「同一化」したいから。
自分を「否定」したくないから。
「論理に先立つ感情」に支配されているから。
※視点が低い人は、理性よりも先立って現れる「感情」の支配を受けやすい、
という実存主義哲学者ニーチェのコンセプト

「構造」を語るよりも「実存」で考えた方が、楽だから。
自己重要感が高いから。

おそらくですが、この哲学の内容に関しても、世間一般的なイメージ(コノテーション)は

「頭でっかち」
「理屈っぽい」
「難しそう」
「すぐに役に立たなそう」

といった、「哲学」という言葉の「含み(ニュアンス)」から想起する「類似性」が先立つはずです。

統計という「かたち」を見たわけではないので、あくまで筆者の実感(私的言語)ですが。

 

つまり。。。

 

人という生き物は「類似性の網の目」に絡め取られた方が、楽であり、

本能的のそういった思考に行き着いてしまうということです。

あとは、
「ホメオスタシス本能」の働きも大きいとも言えます。

すなわち、過去に経験してきた「類似性(過去の延長線上の意味)」に乗っかることが、
生存本能的に「安全」だと、本能的に判断しているということです。

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